ピックアップレーサー記者コラム

ピックアップレーサー記者コラム

3024西島義則

かつて「ボートが止まってみえる」と語ったことがある。2000年の下関グラチャンを皮切りに、宮島オーシャンC、若松ボートレースメモリアルとSG3連続Vを成し遂げた頃である。

あれから21年になる。今は「自分にできることをしっかりやってお見せしたい」と真摯に語る。そんな変わらぬ姿勢を多くが支持している。昨年・今年のボートレースオールスター連続選出はファンが決めたことだ。

異彩を放つ59歳は、その年齢やSG7冠&G1V16というキャリア、近況のリズムよりも「レーススタイル」への承認が第一の存在意義となっている。リスク承知で相手の懐に飛び込むインファイターは、忖度や総合的俯瞰全盛時代にあって相手を問わない。「俺はこれで戦う!」という宣言と行動を支持するかしないかはファンが決める。そこに好き嫌いがあってもいいだろう。本人は受け入れている。

わざと相手を惑わすスタート展示はその代表だが、ファンにだけは終始一貫して「西島義則」を披瀝し続けている。選手間で駆け引きしても「ファンとは駆け引きしない」のである。これこそが、世代を超えて支持されるゆえんだろう。尼崎でまくられるわけにはいかない!


4030 森高一真

「乗れるようになるのが先です」。20代半ば、森高一真は自分の方向性をこのように言い切っていた。モーターやプロペラ調整に時間を割くのであれば、乗艇練習した方がいいと考えてきた。舟足を言い訳にせず与えられた状態で戦う覚悟を示したものだ。「男気」あるレーサーである。インタビューでは素っ気なくいかつい感じがするが、素顔は違う。世界の大きな人物である。

その後、記念常連となる過程で調整や整備を体得していくが、「男気」は変わらなかった。「整備するなら勝負の整備」というのだ。
モーター本体に手を加える時は「ちょっと良くなれば、という整備はしない」と言っている。失敗を恐れず一発逆転を狙うのだ。

闘魂すさまじかった安岐真人さんを慕い強気のレースを志向するが、実際は流れの中で勝負している。与えられた状況という運命に恭順な一面を持ちあわせているのだ。

2013年11月、津のチャレンジカップでSGタイトルを初めて手にしたものの賞金ランキング13位でグランプリ出場を逃している。しかし、「12位の仁さん(齊藤)ががんばられた。納得しています」と爽快な笑顔で話している。
森高一真の「男気」は、潔く清々しい。


4524 深谷知博

「いいレースを見せることが目標です。ダービーの権利も狙いたい」。2020年2月のG1浜名湖賞を取った際、深谷知博はこう語った。

研究熱心でものごとを突きつめる貪欲さが光るが、端麗な外見に隠されている。その静けさに品があるが、心はたぎっているのである。
その内面について、伴侶の鎌倉涼が「あらゆることにストイックですし、ボートレースのことを常に考えている人…。尊敬できます」と語ったことがある。

また、競輪界トップレーサーの深谷知広(ともひろ)さんとも親交があり、何でも吸収しようとしている。たとえば、ボートレースにおけるギヤケース調整とケイリンのギア比とに関連性はないのか、問うたりしている。

その姿勢が2020年に花開いた。10月の大村ダービーでインからSG初優勝をしたのだ。「いつもと変わらずいけました」とは、まさに平常心の人であることの証左だ。

この優勝で2020年はグランプリに出場。結果は出せなかったが、まちがいなくステージアップしている。「グランプリを走ることが目標」と語る深谷知博だが、いきなりそこにたどりつくことはできない。その一歩に尼崎の「まくってちょうだい!!」がある。


4573 佐藤 翼

佐藤翼を語るうえで2012年9月徳山の「新鋭王座決定戦」(当時)の優勝戦を語らずにはいられない。インの佐藤翼はコンマ07のフライング。「レバーを放ったけれど、勝ちたい気持ちが強くて…」と人目をはばからず号泣した。その痛ましいほどの姿は今も語り草になっている。優出メンバー中ただひとりのB級レーサーは一気に頂点まで登りつめようとしていたが、そのまっただ中で大きくつまずいたのだ。

転落してもおかしくはなかった。しかし以降、自らの足元を見つめることに徹し続けている。決して大言壮語せず自分のスタイルを真摯に追い求めやがて9年になる。

昨年10月の大村ダービーでSG初優出した際、「今までの自分を出し切るなら今なのかなと思っている」と報道陣に語ったが、その背景にはこうした個人史が隠されていた。
人気レーサー土屋南と結婚したことにより、「支えてくれる人がいることでモチベーションのステージは上がっている」と素直に語ることができるのもいい。外連味(けれんみ)がない真の勇者にふさわしい立ち居振る舞いだ。

全速スタートからのセンターまくりが持ち味のひとつ。「まくってちょうだい!!」の主役となるだろう!


4688 永井彪也

2019年の三国ヤングダービーを制し記念レーサーの仲間入りを果たしている永井彪也。その優勝戦前には、丸野一樹選手や大上卓人選手らの同期、師匠中野次郎をはじめとした東京支部の先輩、最愛の家族を想い「レースなのに感情的にたかぶりそうになってしまった…」と回顧したように、情に厚く、気持ちで走るタイプである。養成時代、ほぼ6コースで通したのも気持ちの表れ。つまり意志の人である。
「かっこいい外見」「スマートさ」「真摯な姿勢」「強固な意志」「泥臭さ」「厚い情」…。
永井彪也の人間的魅力ははかりしれない。

そんな永井が今年6月に開催された「第8回イースタンヤング」(戸田)を取った。
その優勝戦、2コース進入からコンマ09のトップスタートを決めたが、インの上田龍星に伸び返され万事休すかと思われた。が、次の瞬間、ツケマイを繰り出したのである。上田がターンマークに接触はしたが、実に思い切りのいい鮮やかなターンであった。
「まくりは全く考えていませんでしたが、勝手に身体が反応した」全速戦で、1年前の桐生のリベンジ(優勝戦でフライング)を果たしたのだ。

今度は尼崎であっといわせるまくりを見せてほしい。


4857 加藤翔馬

2016年12月、地元の19歳加藤翔馬がデビュー初優勝を飾った。3号艇で挑んだ優勝戦。自身初の3カドを選択。節イチの仕上がりを誇っていた野澤大二らをまくったのだ。
「今までにない舟足」を味方に力感あふれる豪快まくりを連日披露していたが、「地元でなかったら優勝できなかった」とファンに語っている。熱い声援を力とし成長する若者である。

父の強いススメもあり「ボートレーサーになる」と決めていた加藤翔馬は、6歳からカートでレース勘や闘争心を磨いてきた。小学校の時にはクラス別チャンピオンになっている。
日常生活から精神面にいたるまで父の指導は厳しく星一徹のようだったというが、それに耐え歯を食いしばったのはボート選手になると決めていたからだ。
中3のときに1回目のチャレンジをし、高1で受けた2度目の挑戦で合格。迷いなく転身し17歳6カ月でデビューしている。当時の最年少レーサーだった。
G1ウイナーである同期の仲谷颯仁について、「養成所時代はそんなに負けていなかった。差をつけられたのは努力が足りないから…」と自分を戒めている。
地元尼崎で十八番の「まくり」を連発し、成長を加速させてくれるはずだ。