上田龍星は2015年11月に住之江でデビューした。養成所時代の勝率は7.39。首席の吉田裕平(7.71)に次ぐ成績を証明するように、初出走から7走目に水神祭を飾っている。6コースからの抜きだった。
初優勝は2018年8月の下関。2号艇で臨んだもののピット離れに失敗。大外もやむを得ないかと思われたが、なんとデビュー3年に満たない新人が3コースにもぐり込んだのだ。1マーク、まくりを放ち先行艇を追うカタチをつくると2周2マークで逆転。栄冠を勝ち取っている。
小中高と取り組んだ自転車競技「BMX」(バイシクルモトクロス)は、大小さまざまな起伏のあるダートコースで激しく順位を争う競技だ。不安定で変化に富んでいるという点で水面とダートコースには共通点があるだろう。
「がんばれば得られるものは多い。何よりボートに乗っているのが楽しいです。自分にとっては天職…」と言ってはばからない上田龍星。
「行くときは行きます!」と語ることもあるように、そのレースは決然としており、ゴールまであきらめることはない。
2020年のびわこヤングダービーで1号艇をゲットしながら敗れた悔しさを胸に、決戦の徳山に臨む。
2017年10月、大村周年記念を制したのはルーキーの羽野直也だった。2コースからの鋭い差しハンドルでSG常連メンバーを振り切っている。このG1初制覇は、羽野直也に2017年の「最優秀新人選手」をもたらしたが、新人賞を競い合っていた盟友・仲谷颯仁に関し「彼が意識していたかどうかは分かりませんが、自分は意識していました」と答えていたのが印象的だった。
翌年2月の優秀選手表彰式典では「自分を超えていきたい」と瞳を輝かせ、さらなる高みへの意欲を素直に口にした。素直さは宝ものである。
レースぶりは、ライバルの仲谷が「剛」とすれば、羽野は「柔」。視野が広く柔軟で、相手のちょっとした動きに即応する能力がある。ムリな力をかけず流れの中で勝機をつかむ戦法だ。
こうした勝負への向き合い方の原点は、心身を鍛えることになった野球にあるらしい。事実、「壁に当たった時に野球から教えてもらったことが役立つ」と語ったことがある。
最優秀新人タイトル後、やや調子を落としていたが、これは力の蓄積期間とみていいだろう。たまった力はいずれ解き放たれる。徳山ヤングダービーがその起点であってほしいと願うファンが多いのは当然である。
「天は二物を与えず」という。多くが認めることだ。しかし、「二物」を手にする者がいないわけではない。たとえば永井彪也がそうだ。
イケメンであることは言うに及ばず、周囲に対する真摯な姿勢や華麗なレースぶりが光っている。そして、何でもやすやすとこなしてしまうスマートさがある。学校でいえば勉強も運動もできる生徒会長といったイメージだが、しかし内実は違う。
勝負師に欠かせない「強固な意志」の持ち主…、それが永井彪也である。
ボートレースに魅せられた15歳の若者は、多感な青春時代を受験にかけた。受かったのは5回目。3年近い雌伏の年月は若者にとって重く苦しい。いかにボートレースに賭ける気持ちが強かったか分かるというものだ。
また、ほとんど6コースで通した養成所時代が物語るように、外見のスマートさとは裏腹に芯が強く泥臭いところがあるのだ。
そんな永井彪也は一昨年の三国ヤングダービーを制している。その際、丸野一樹や大上卓人らの同期、師匠中野次郎をはじめとした東京支部の先輩、最愛の家族を想い「レースで感情的にたかぶりそうになってしまった…」と回顧したように、情にも厚い。そうなのだ。永井彪也の人間的魅力ははかりしれない。
大山千広は背負うものが多い。ボートレーサーを目指す若者のシンボルにもなっている。
男子顔負けのレースぶりはもとより、その美貌と言動の端麗さに共感が集まる「憧れの的」である。
2015年5月に福岡でデビューすると、2年後には頭角を現しはじめ、G1初出場だった2018年の浜名湖ヤングダービーで優勝戦に進んでいる(結果6着)。話題騒然だった。
その活躍の原点は「新しい自分」との遭遇にある。
SGレーサー菊地孝平をして、「いきなり核心を突く質問ができる稀有な存在」と言わしめた大山千広は「男子にも勝てるレベルの高いターン」を常に追い求めている。
2018年の最優秀新人選手に選ばれ、2019年8月にはレディースチャンピオン(蒲郡)でG1初戴冠。その年の優秀女子選手となっても、「まだまだです」と語るほど視線は高い。
近況、フライング禍の影響もありやや調子を落としているが、本人もこれを素直に認め、「苦しい時、調子の悪い時こそ学ぶことが多いです」と話すなどプロセスを大切にする真のアスリートは、常に前向きである。
結果を怖れないからこそ得られるものがある…、と教えてくれるのがトップレーサー大山千広である。
「ラストイヤーなので悔いのないように走りたいです。どんなエンジンでも準優に乗ることを最優先に考えていきます」。
長崎支部の村上遼は、6月の宮島G3ウエスタンヤングを制しこう口にした。
前年のびわこヤングダービーがG1初出場だったが、予選クリアできずに終わっている。今年にかける意気込みは大きい。
さらに、勢いもある。ウエスタンヤングに次いで、7月には徳山と桐生のルーキーシリーズ戦を制しギアチェンジしている。現在加速中だ。
宮島はオール2連対のイン逃げだったが、徳山は2コース、桐生は4コースからまくっての勝利。思い切りの良さ、果敢さが持ち味でまだまだ発展途上。この先どこまで飛躍するのか興味は尽きないが、一発の魅力があるのは間違いない。
幼い頃から「スポーツの世界で仕事をしたい」と考えていた少年にとって、周囲が勧めるボートレーサーという職業は天職。だからこそ努力を惜しまず取り組めるのだ。
スポーツは、プレーヤーと観戦者との間で成り立つ共感イベントという解釈も成り立つ。「魅せるレース」「一発の破壊力がある戦い」「勝ちだしたら止まらない勢い」の体現者・村上遼から目が離せない。
「流れもはやき早鞆の海に向かひてそそり立つ…」は、山口県の早鞆(はやとも)高校の校歌である。その歴史は古く明治34年までさかのぼることができるが、その早鞆高校の野球部出身が佐々木完太である。
「古豪」は、昭和39年に下関商業の名投手・池永正明を破り夏の甲子園に出場。決勝まで進んでいる。(高知高校との決勝は0-2で敗れ準優勝)以降、昭和41年&42年の夏、平成24年の春選抜にも出場歴がある。
佐々木完太は、そんな時代の流れの中で鍛錬を積んできた。
そつがなく安定感光る競走ぶりから、養成所時代は「将来、必ず活躍する…」と言われた。一発で相手を沈めるというよりも道中の接戦で抜き上がるのがスタイルだ。ゴールまで決してあきらめない姿勢は野球で培ってきた精神力に通じる。
加えて、師匠・吉村正明の影響もある。
山口支部をけん引する白井英治と寺田祥に次ぐ「山口の顔」は、好きな大相撲の「徳俵で粘る力士」のように接戦に強い。たとえモーターが非力でも何とかしようと懸命に取り組むプロである。いい師匠に恵まれたと断言できる。
舞台は地元徳山。佐々木完太にとって条件は申し分ない。あとは悔いなく走るだけだ。